櫻井忠温『肉弾』を読んだ感想文
櫻井忠温は鶴見中尉のモデルのひとりである、という説を見たので読んだ。『肉弾』は日露戦争に従軍した聯隊旗手櫻井忠温が、旅順攻撃などについて書いた戦記文学。いや戦記文学って何。戦争文学の中でも戦闘の記録を記したものをそう呼ぶらしい。そうなんだ。明治から国内外で広く読まれた世界的ベストセラー。
内容は戦闘や行軍の悲惨さを伝えながらも総じて美談にまとめられている。鶴見というには高潔で美しすぎる気がした。いや、鶴見は世界で一番美しいけど。
あまりに美談過ぎて士気を上げるとか、戦死者の遺族を慰めるとか、そういう意図をもって書かれたプロパガンダの一環なのかと邪推してしまった。もちろん死体を踏んで進軍する悲惨なさまは描かれているし、現代的な言い回しで書かれたら多分ぞっとするぐらいグロいんだけど、そんな中で命を賭して輝く上官と部下の美しい絆、戦友の絆。強い恋愛関係。とにかく日本軍には命を惜しんで逃げだす人も卑怯なことをする人も一人も出てこない。そして終始物量で負けながら精神力で勝利した大和魂を賛美している。「早く戦争が起きないものか」と言ってしまう鯉登音之進はこういう時代の中で作られたんだなと思った。あと勇作さんの高潔さというのはこういうところにあるのかなとか。
でも本書に対する当時の評価を調べたら「戦場で戦友の死に涙するとは何事か!軍律違反だこんな話を書くな!」みたいな批判をする将校もいたらしい。こんなに戦争を肯定しているのに、まだ戦争に否定的だと批判されるものかとびっくりした。
そう考えると、美談だけ抽出したんでしょプロパガンダじゃないの、はちょっと言いすぎかもしれない。実際に従軍した人の記録とはいえ手記ではなく文学なんだし、美談にまとめて当然というか。多分ゴカムは「美談にしない」寄りの作品だから、ゴカムの明治を基準に読むと美談にする日露戦争は解釈違いになるだけ。
美談の軸に通っている精神力で勝つみたいな話にも、ついどうなのと思ってしまうが、逆に物量で圧倒的に負けてるのに戦場に放り込まれ機関銃に向かって徒歩で銃剣突撃しろと言われたとき、どこにメンタルを持っていけばいいのかと問われると、心の拠り所は精神論しかない気もしてくる。いや、上の人がやばい作戦を立てて現場の人の精神力でカバーさせるみたいなのは、そもそもやばい作戦を立てるなって気持ちだけど、淀川中佐がつるみちゃんの指摘を無視してやばい作戦を決行した以上、現場の人はやばい作戦の下で戦うしかないし、戦うしかないとなると、精神論で士気上げていくしかない。そういう方向になったとき美談は必要なのかもみたいな。
っていうかもう人を殺してオッケーって戦争の大前提が正しくないので何かそこに正しさや整合性のようなものを見出そうとした時点で脳がバグって行く気がする。私の。やだやだ鶴見は悪くないもん。正しいもん。
鶴見の話に戻すと、作中で何度も語られる戦友の絆は、美しくてうるわしくて、もし鶴見の「愛です」が健全な方向に進んでいたらその愛の内容はこういうものだったのかな、という愛だった。いや愛の中身が不健全すぎるわ鶴見劇場。なんで普通に愛を育まないの?
鯉登が「鶴見中尉殿を前向きに信じる」と言ったときの「信じたもの」がもし仮にこのレベルで清い愛だったとしたら、それはちょっともう裏切られるかもしれない。従卒の軍曹は看病から実家への連絡までめちゃくちゃ少尉に甲斐甲斐しく尽くしてくれる。上官である聯隊長殿は尊敬できる素晴らしいお方で、いつも目をかけてくださる。戦友のために身命を賭して戦うのが何よりも素晴らしいことでそこに疑う余地はない。みたいな。世界観が美しすぎる。狂言誘拐に気付く前の鯉登はそんな美しい世界で生きてたんだね、と思うとその世界が壊れたのはちょっと悲しい。でも、前向きに信じる之進は別に世界が美しくなくても清濁併せ呑んで鶴見中尉殿を信じてくれるからきっと大丈夫。信じたものは清い愛のある世界じゃなくて中尉殿本人だから大丈夫。あのひとって100回は言いたい。
とはいえ鶴見の言う愛ですがますますわからなくなった。確かに戦場で生まれる戦友の絆が当時どういうふうに描かれていたかというのはちょっと分かった。その絆は強い恋愛関係にも例えられ愛のためなら人だって殺せてしまう、という話も別の本で読んだ。でも愛を育むために少年を惚れさせるのは戦友の絆関係なくない??戦友の絆は戦場で育まれるものでは???「強い恋愛関係にも例えられる」の「恋愛関係」の部分が前面に出すぎじゃない???となった。助けに来てくれたヒーローに惚れるとか、近所のえっちなお姉さんを好きになるとかそういうのは戦友の絆ではないでしょ。全然いいけど。いいよ。
20巻加筆のゴリラ鶴見で鯉登の恋は恋愛じゃなくて敬愛だったのかなって思いなおしてたけどやっぱり戦友の絆関係ないじゃん。なんなの。いいけど。
なぜ鶴見は、わりあい健全というか戦場で兵士のメンタルの健康を守るであろう「戦友の絆」ではなく、どろどろに不健全な「強い恋愛関係」を愛の中身に選んでしまったんだろう。それともそもそも戦友の絆は健全なばかりではないということなのかな。あるいは恋愛関係なんだからヤンデレもいればメンヘラもいるよねみたいな話なんだろうか。ますますわからなくなる鶴見。知れば知るほどわからなくなる鶴見。いいけど。
分からないことは増えたが、当時の人が読んでいた戦争の話というのがどういうものだったのか、とか、鯉登の理想とする軍人像みたいなのに触れられたのは良かった。ほんと愛ですって何。